猿体験
急な発話契機で応答できず恥ずかしい思いをする体験。
発話無能の主な原因は発話パーツ不足。※勇気とは関係ない
知らない人とオンライン英会話(対面フリートーク)という図は気後れします。
英語ど素人がオンライン英会話に手を出したら地獄をみたという記事を見ました。
日用語彙が使えない
人でありながら話せないという惨めな体験は、自分が猿に退化したような気分です。
話せない自分は、英米人の目には正に猿に見える。これを「猿体験」と名づけました。
猿体験は言語生活上で究極の当事者体験。これは勇気や完璧主義ではなく練習の問題。
健常者妄想
二足歩行と発話は人間として一人前であるための基本条件。
外国で満足に話せなければ動物並みに扱われても文句をいえません。
地に足をつける
怪我で歩行困難に陥ったり、外国生活で会話に不自由すれば惨めになる。
だから異国の人々と対等に話せないうちは半人前だと思う。(わしは今も半人前だ)
既定路線では身近な用を足せない。入力志向語学は砂上の楼閣。
ここで初めて空中戦に気づき自主トレに目覚める。軽量化された教材。⇨ 発話志向
どこの星でも英語が通じる
日本軍に投降した米兵が、自分の捕虜体験から映画「猿の惑星」を着想したという話があります。
「猿の惑星」では終始英語が通じていながら、主人公はそこが地球であることに気づかない。
英語は何処でも通用するのが当然という意識が反映しています。その不遜にわしは衝撃を受けました。
(最後の場面で自由の女神像を見てからやっと気づくという鈍感さ!)
恥の心と完璧主義?猿体験はそんな上品じゃないぞ